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閑居老人独語129

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08 /02 2020
 2日つづけてのテレワーク。今日検討した碁は1995年のアマ最強戦の挑戦者決定戦まで進出した武井さんが坂井秀至さんと対戦した碁。ちょうどあの忌まわしい地下鉄サリン事件の日に打たれたという。碁は、後にプロに転じてタイトルも獲得する坂井さんにいささかの隙もなく、武井さんが短手数で土俵を割ってしまった。
 NHK囲碁フォーカスで「小石取り大場譲っても勝ち気分」という投稿句が紹介されていた。囲碁講座講師の平田七段は粋なコメントをしていた。「この句には上達のヒントが込められていますね。これを反対にすればいいのです。小石捨て大場にまわって勝ちました」と。
 ここのところNHK杯トーナメントの解説はコロナモードで、「自分で全部石を置きながらの解説でもたついています」と、三村解説者のツイートがあった。

 梅雨が明けても家に籠っていると、さほど暑さは感じない。
  白昼のむら雲四方に蕃茄熟る(飯田龍太)
 先日、東京新聞の「筆洗」欄に紹介されていた。むら雲というとなぜか歌川国芳の「東都三ツ俣の図」を思い浮かべてしまう。スカイツリーのようなものが描かれている浮世絵だ。
 「蕃茄」という言葉も初めて知った。トマトのことだという。わが庭のプランターのトマトも赤く色づいている。その青、白い雲、赤いトマトの色彩が鮮やかだ。
   けふの棋譜思ひ返してゐる端居
 今朝の朝日俳壇にこんな句があった。「端居」がいいなあ。歌壇にはこんな歌も。笑っちゃうけど、笑えない。
   「責任は痛感します」叱られて児はアベさんの物真似をする
 原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読み終えた。19世紀の後半、パリの美術界を舞台にした物語。日本人の画商・林忠正と助手の加納重吉(架空の人物)と、日本に憧れる無名の画家・ゴッホと、その兄を支える画商のテオ。4人の男たちをめぐる物語であり、ゴッホが主役というわけではない。
 タイトルの「たゆたえども沈まず」はパリのことを指す。中心部を流れるセーヌ川が幾度も氾濫し、街とそこに住む人々を苦しめてきた。パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力を合わせて街を再建した。セーヌで生活する船乗りたちもパリと運命を共にしてきた。いつしか彼らは自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。―「たゆたえども沈まず」
 ゴッホが自らの耳を切って入院した病院を見舞った弟にうわ言のようにつぶやいた言葉がやはり「たゆたえども沈まず」だった。弟のテオが「兄さん、あなたが、いちばん描きたかったもの。―それはパリの化身…セーヌだったんだね?」と納得する。
 実際にゴッホが精力的に描いたのは南仏のアルルにおいてであり、サン=レミであった。パリではなかった。
 当時のパリ画壇には新しい動きが勃興しつつあった。その一つはいわゆる「印象派」の出現。きちんとデッサンもせず、構図も決めず、色彩の配置もよく練られていない。つまり、画家の「印象」だけで描かれていたからそう呼ばれた。決して誉め言葉ではなかった。もうひとつはジャポニスムの流行。林忠正らを通して日本の浮世絵が大挙してヨーロッパに渡った。ゴッホの「タンギー爺さんのバックには、壁にかけた何枚もの浮世絵が描かれている。
 小説の最後に林忠正はこんなことを語る。「見たことがないものが出てくると、初めのうちは戸惑う。なんだかんだと文句を言う。けれどそのうちに、受けとめる」と。
 浮世絵も印象派も、そうだった。きっと、いつか、そうなるのだろう。…フィンセント・ファン・ゴッホも。そして、林忠正も。―これは作者の思いか。
 
 
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