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閑居老人独語66

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05 /31 2020
 しばらく休業していた囲碁サロンさいたま新都心も明日から再開されるようです。こどもたちの元気な声が戻ってきますね。
 来週からはプロの手合いが再開されます。「週刊碁」もどうやら危機を乗り切ったようですね。今日の紙面は囲碁新聞らしくもない印象もありますが、虎丸名人の「布石革命」はこれを読むだけでも価値がありますね。さらにNHKアーカイブとして約半世紀前の藤沢秀行王座(当時)と藤沢朋斎九段との決勝譜が載っていた。その見出しは「秀行 冴える打ち回しで完勝」。自分が碁を覚えて間もないころのものだ。
 ところで、先日我が家の物置を整理したら段ボール一杯分のプロの棋譜が出てきた。秀行先生が亡くなったあと、先生宅の物置の片づけを頼まれた吉田碁盤店の3代目が処分を依頼されたものらしい。捨てるには忍びないと思ったか、「こんなの見ますか」と帙入りの「秀行打碁撰集」(なぜか下巻だけ)とともに我が家に持ち込んでくれたものだ。
 棋譜は手書きのものもあり、印刷された原譜のコピーもある。時代は昭和から平成に変わる頃のもので、日の目を見なかったものも含めてさまざまな棋戦のものがある。常昊ら中国棋士のものもある。いずれも秀行先生に見てもらうべく棋士が送ったか、先生が棋院から取り寄せたかしたものだろう。読売新聞がからむ日中交流棋戦のものもある。
 その棋譜に短いコメントが付してあるものがある。筆記具は赤と青の色鉛筆。競輪、競馬の新聞をチェックする人がよく持っているものだ。その中の一つを紹介しよう。第14期名人戦リーグの碁で武宮本因坊(当時)の先番。相手の名は秘す。その評が激烈だ。
 「○○は恥知らずだと思ふ。167と出られたら当然投げなければいけない。このような心懸けでは立派な碁打にはならないと思ふ。このような碁打が多いことはなげかはしい。日本の碁打は淋しい」。これは貴重品だ。
 棋譜には記録係の氏名も書かれている。その名前を見ているだけでも今昔の感がある。今は立派にプロとして活躍している人、アマとしてよく名の知れた人。現在埼玉県内で活躍しているアマ選手もいる。

 今朝の朝日歌壇から印象的な歌を拾ってみた。
  ウイルスに記憶奪われしわたくしの手帳のページ真っ白のまま
 予定表が真っ白になってから早くも3ヵ月。今日で5月も終わる。
  爪研がぬジャーナリズムは丸文字でじゃあなりずむと書くのがよろし
 権力者とジャン卓を囲んでいては爪は研げない。痛烈な皮肉が込められている。
 「幕末下級武士の絵日記」新訂版を読んだ。忍藩の下級武士・尾崎石城の絵日記ということで、以前に出たときにも読んだ記憶がかすかに残っている。新訂版は版も大きくなり、絵も完全カラー版になった。見ているだけでほのぼのとした感じが伝わってくる。石城は江戸で絵の修業をしたようだ。
 そこに描かれる彼らの生活は、まもなく明治維新を迎えるという激動の前夜なのに、うらやましいくらいのまさにスローライフだ。つつましい日々の食事の内容もこまめに記載されている。貧しい生活ながら、親しい仲間との宴会も多い。下級武士、中級武士、町人、寺の和尚等、分け隔てなく交わっている。―明治以降の文献史学でいわれてきた差別意識はここにはない―。現代では希薄になっている濃密な関係が維持されている。他人といえども、ちょっとした小家族のようでもある。もちろん武道の稽古や勉学にも励んでいる。書物の貸し借りも多い。時間をかけて、借りた本を写すこともしている。「遊仙窟写し、軌範をよむ」などの記述もある。
 石城は屏風や襖、行灯や扇子などにも、頼まれれば絵を描いて謝金をもらっていたが、そのほかに仕事という仕事はない。
 皇女和宮降嫁の際、熊谷宿に一泊されるにあたり、石城の養子も警備を命じられる場面がある。衣類や装備も自前。和宮宿泊予定の五日前から駆り出されている。
 教科書では知りえない、歴史の裏面に触れるのもまた一興だ。坂下門外の変を知らせる書付も目にしていた。この時代にも迅速な情報伝達の仕組みがあったようだ。次のように世相を皮肉る記述もある。「〇早いもの…外国行きの立身、見せ物小屋の役者の早変わり 〇役に立ちそうでたたないもの…雷除けの薬、見附番人 〇怖そうで怖くない…海岸の大筒、芝居の化け物」等々。
 なお、慶応大学所蔵の「石城日記」の解説文は石島薇山が書いているらしい。薇山は先に紹介した石島雉子郎の甥であり、「田舎教師」にも登場する。
 
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閑居老人独語65

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05 /30 2020
 10月に開催予定の「湘南ひらつか囲碁まつり」の中止が決定した。私の知り合いでも「行ってきたよ」という人が何人かいる。私自身は参加したことはないが、平塚市にある「木谷實・星のプラザ」は訪ねたことがある。人間木谷實コーナー、棋士木谷實コーナー等に分かれて展示されている。実は平成18年ごろ、平塚市が「木谷記念館」の建設を打ち出したことがあった。その開設を期待したにもかかわらず、いまだ実現していない。その埋め合わせが「星のプラザ」だとすれば、寂しいものだ。独立した記念館ではなく、間借りにすぎないのだから。
 周知の通り、川端康成の小説「名人」は秀哉名人の引退碁が題材になっているが、その相手を務めたのが木谷七段(当時、作中では大竹七段)である。
 「木谷實全集」(1977年刊)を、ときどき思い出したように並べてみることがある。始めてから何年たったか分からないが、まだ第2巻の途中である。

 黒川さんと賭けマージャンをやっていた朝日新聞の社員への処分が出た。「停職1カ月」。前検事長とはえらい違いだなあ。それもさることながら、やはり気になるのは新聞記者と権力との癒着のほうだ。
 例によって今朝の川柳を引く。
  経済に傾いてくるヤジロベエ
  ウイルスもこのまま引っこみつかぬかも
 緊急事態宣言解除が前倒しになり、経済活動再開に傾いてきている。そうなれば再び感染者が増えるのは当然予測されたことである。まだ完全にシュウソクしてないのだから。このシュウソクにあてる漢字について、しばしば迷う。そんなとき同じ新聞に「ことばサプリ―終息と収束」という記事があった。なるほどそうか、と思ったのでそれをまとめてみる。
 「終息」は「終」の字に、休む・落ち着く意の「息」が付いて、物事が「終わる、絶える」ことを指す。戦前は「終熄」と書き、「虎疫終熄」などと使われた。虎疫は虎列剌(コレラ)のこと。
 一方、「収束」は「集めて束ねる」という意味。新聞では戦後になってから、インフレ、ストライキといった人の活動などを「抑える」場面で使われ始めた。政府のコロナ対策専門家会議―最近この会議の議事録を残してないことが問題になっている―の資料には「短期的収束」「収束のスピードが期待されたほどではない」などの記述がある。「終わり」という結果ではなく、収まっていく過程に注目するときは「収束」の字をあてることがことが多い。
 イメージとしては小康状態なら「収束」、根絶なら「終息」か。人々の営為で感染を徐々に「収束」させていき、最後に完全に「終息」する。早くそうありたいものだ。
 囲碁観戦記を書くに際しても気になる表記があった。ショウコウという言葉だ。少考なのか、小考なのか。
 手元の辞書にあたってみる。岩波と福武の国語辞典にはどちらの見出しもない。三省堂の新明解国語辞典には「少考」があり、「ちょっと考えること」と語意が記されていた。念のため中辞典にあたってみる。広辞苑には「小考」の見出ししかなく、①少し考えること。またその考え。②自分の考えをへりくだっていう語とある。小学館の「大辞泉」もまったく同じ。ところが三省堂の「大辞林」には「少考」の見出しがあって「小考」はない。意味は先の二つと同じ。これでは混乱を招く。さらに「日本国語大辞典」まで引っ張り出す羽目になった。やはり「小考」しかなく、意味も前記二つが記されているだけ。あっさりしたもので、売りである例文もない。
 「少考」を載せている新明解には、もちろん「長考」の見出しもある。「長考」はどの辞書にも載っている。囲碁で使うのは長考に対して、ちょっと手を止めてかんがえるということだから「少考」を使うようにしている。ただ、これは当初、ワードの変換漢字になかったものだから自分で単語登録した。国語辞典も、広辞苑の①の場合は「少考」、②の場合は「小考」と分けるべきではないだろうか。

閑居老人独語64

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05 /29 2020
 プロの手合いが6月から始まり、休業していた日本棋院各会館も6月3日から再開される。当面は16:30までの短縮営業になるようだ。来場者には、マスク着用、検温、手指消毒が義務付けられる。プロの対局は37、5度以上の発熱がある場合は不戦敗になると昨日紹介した。さっそくツイッターにはこんな書き込みがあった。「不戦敗はおかしいでしょう! 日を改めてか、棋院内の別室でネット対局にすべきです。でないと手合いを重視する棋士は一切ファンとの接触、普及なんてしなくなりますよ。必要ないと棋院は思っているんですかね。自殺行為ですけど」
 昨日の夕刊に丸八碁盤店の記事が出ていた。30年前には都内に28店あった碁盤店が今では6店に減ったとあったのにはびっくりした。その背景には中国産の安価な商品の普及があるととのことだが、囲碁人口の大幅減少で新規に碁盤を求める人が少なくなっているのがもっと大きいのではないかな。

 夕方、散歩に出た。代掻きが進み、水を張った田も増えてきた。田植え間近を思わせる。手元の新明解国語辞典(第5版)で「代掻き」を引いてみると「田植えの前に水田に水を入れ、(馬を使って)田の土を掻き起こして、ならすこと」とある。古くは当然馬を使って作業していたわけだ。そんな風景はいつごろまで見られたのだろうか。いまは当然耕耘機の出番だ。水を入れてならした跡が西日を受けて光っている。
  水光る耕耘機の跡一筋に
 歩きながら駄句を思いついた。欧陽脩の「三上」にならえば、馬上ならぬ路上も思いを巡らすのにはいい。
 漢詩で名高い「黄鶴楼」があったのが、現在の武漢市だとはうかつにも知らなかった。新型コロナウイルス感染拡大により1月末に都市封鎖された武漢。人口は1千万人を超える。その武昌区にいま黄鶴楼公園があり、黄鶴楼が昔あった場所とほぼ同位置に再建され、世界遺産にも登録されているという。先に中国で発行した、武漢での新型コロナウイルス撲滅を記念する切手の図案にも黄鶴楼が描かれていた。なぜか当初よりはうっすらとなったようだが。
 黄鶴楼を詠んだ最もよく知られた詩は李白の「黄鶴楼ニテ孟浩然ノ広陵ニ之クヲ送ル」だろう。「春眠暁を覚えず」の一句でよく知られた、友人の孟浩然を送る詩だ。
  故人西辞黄鶴楼
  煙花三月下揚州
  孤帆遠影碧空尽
  唯見長江天際流
 「黄鶴楼」という崔顥の次の詩は黄鶴楼のいわれを伝える。
  昔人已乗黄鶴去
  此地空余黄鶴楼  
 作家の水木楊さんが「わたしの詩歌」に寄せた文から引用する。
 「黄鶴楼には酔夢が良く似合う。…昔、武漢にあたる武昌には辛という名の酒屋があり、一人の老人が酒代を溜めた。ある日、老人は壁に鶴の絵を描いて立ち去った。生き生きとして絵を見て、客たちが手を打って唄い出すと、鶴が踊り始めた。お陰で店は大繁盛。それから十年ほどして老人が再び現れ、笛を吹いた。すると、たちまち雲が湧き、老人は鶴に乗って長江の彼方へ消えていった」
 やっぱり、人口1千万超の大都市武漢とはイメージが結び合わない。

閑居老人独語63

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05 /28 2020
 6月からプロの対局が再開される。それにはマスク着用。検温、換気の三つの条件がついている。37、5度以上の熱があると不戦敗になるという。棋戦進行が約2か月遅れているわけだから、これからの対局予定を組むのが大変だろうな。
 アマ大会は早々に多くの大会が中止になっているので、県内で次に予定されているのは10月末のこども棋聖戦、11月末の埼玉名人戦までない。大会運営も取材もなく、籠りの生活はまだまだつづくことになる。

 今朝の川柳にこんなのがあった。
  「〇〇が決めた」首相の常套句
  安倍総理責任とらずほおかぶり
 最近も相変わらず批判の矢面に立つことが多い。最近に限らないのかもしれないが。
 散歩の途中、こんな戯れ歌が思い浮かんだ。
  アベの罪業数えてみれば
  モリカケサクラにとどまらず
  特定秘密に官邸人事
  原発再稼働辺野古問題
  安保法制にとどめさす
  憲法改悪これぞ本丸
  改悪改悪お馬が通る
  我ら雀の子我慢の限界
  それに比すれば
  自粛の我慢何のその
 今日からイオンモールの営業が再開された。コメダ珈琲店がオープンした日にコーヒーチケットを買ったがまだ一回も使ってない。緊急事態宣言解除後、北九州や東京等、新たな感染者が増えている。それを感染拡大の第二波と称するのは当を得てないのではないか。まだ第一波が終わってないんだよ。
 藤沢周平の小説「一茶」を引っ張り出してきて読んだ。信州柏原から江戸に出た一茶は奉公先を転々としながら「三笠付け」という遊びに熱中した。それは俳諧の宗匠が例えば「暑いことかな暑いことかな」という下の句を出し、諸人に上の句をつけさせて戯れ歌をつくる前句付けというものである。後には五七五の初めの五文字を出題して、中七、下五をつけさせる形に変わった。応募する者は十文の掛け金を払う。そうして集まった句に点をつけ、高得点者に賞金を与えた。一茶は一両の賞金を仕留めることもあったらしい。それがだんだん悪質化してくると、幕府は博奕と同様の処罰を科した。罰則は「家財家蔵取上げ候ほどの過料、家蔵これなき者は、五貫文あるは三貫文の過料」と明示されていたという。
 いつの代でも賭博に対する罪は厳しかったのになあ…。黒川さんの「戒告」には批判が沸騰しているのも故なしとしない。
 一茶は信州と江戸との往来の際、本庄宿の豪商で、主人が俳句をよくする戸谷家にも立ち寄ったかもしれない。そこには一茶の版本「さらば笠」が残されていることが「埼玉戦後アマ囲碁史」に書かれている。戸谷家には本因坊丈和が若き日に丁稚奉公していたということで、「囲碁史」執筆の際に取材に出向き、安政年間築造の蔵などを見せていただいたことがある。
 余談だが、丈和の出生地は諸説あったが、近年の研究により、伊豆の木負(きしょう)村(現沼津市)とほぼ定まったようだ。日本棋院沼津支部がそこに「出生の地」碑を建てたということで、一昨年物好きにも見学に行った。海に面して富士を見上げる絶好のロケーションの地だった。その晩、土肥温泉の玉章園新井に宿泊した。ロビーに藤沢秀行の書を飾る一室があり、廊下のあちこちに秀行先生の書が飾ってあった。館主といろいろ碁の話をしたら、ここで行われた棋聖戦の記念扇子をお土産にいただいてしまった。伊豆市には本因坊秀和の生家もある。「二人の本因坊―丈和・秀和ものがたり」(静岡新聞社)を読み、そこにも出かけた。

閑居老人独語62

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05 /27 2020
 来月7日に予定されている埼玉県少年少女囲碁協会の理事会・総会の案内と議案書が届いた。「今年度は会員の皆さまの安全確保の観点から、できるだけ文書によるご参加をお願いします」との一文も付されていた。電車に乗って出かけるのはまだ怖いですよね。
 県連総会は先にお知らせした通り7月21日(火)の予定です。状況は不確定の要素もありますので、通知等はもう少し様子を見ながら発送いたします。
 河北新報一力遼記者のデビュー記事を読んだ。「囲碁界の現況を私の目を通してお伝えしたい」と前置きし、「4月8日から対局延期」「SNSで魅力を発信する棋士も」「「国際線はネット対局が増加か」「対面対局の緊張感が恋しい」との小見出しを付した記事がつづく。最後は「今の状況は囲碁の勉強という観点ならあまり不便はないですが、手合いがないと生活にメリハリが生まれず、2ヵ月ほど対面で対局する機会がなかったことで改めてその存在の大きさを感じました」と結ばれていた。

 閑居のつれづれに始めたこの「独語」、いつの間にか2か月を超えた。まったく生産的ではない駄文綴りとはいえ、散歩と読書のほかにすることのない自粛生活の楽しみにいつしかなっていた。
 三たび柴田宵曲の「明治の話題」から。「午砲」という項があり、次の句が紹介されていた。
  雲の峰に響きてかへる午砲かな―虚子
  やゝありて午砲気付きぬ森のどか―雉子郎 
 午砲とは読んで字のごとく、大砲をドンと鳴らして正午を知らせたもの。東京では明治4年に始まり、昭和4年にサイレンに変わるまで続いた。明治文学には「どん」の俗称とともにしばしば登場する。今は皇居東御苑の本丸跡庭園に「午砲台跡」と記した小さな石碑があるのみ。江戸・東京散歩の際、これも確かに見た。役目を終えた砲はいま、江戸東京たてもの園に保管、展示されているという。
 これを取り上げたのは「雉子郎」(きじろう)という作者に注目したかったからだ。
 実は、コロナ禍の自粛生活に入ってからの新たな散歩コースの途中に雉子郎句碑を見出していた。忍川の船着き場跡碑のある一角に小公園があり、樹木に覆われてひっそりと建っていた。
  此の巨犬幾人雪に救ひけむ
 車で何度も通っているが、まったく気づいてなかた。地元の俳句連盟が半世紀以上前に建てたことが碑陰に刻まれていた。雉子郎とは行田市出身の俳人・石島雉子郎。明治20年生まれ、熊谷中3年終了時に家業を手伝うために中退。生家は大きな靑縞問屋。年上の甥・郁太郎・薇山は田山花袋の「田舎教師」にも「行田文学」を中心となって発刊したとして登場する。
 俳句は高浜虚子に師事し、ホトトギスでも活躍した。明治37年には、同郷の川島奇北らと俳句雑誌「浮城」を創刊したという。後にはキリスト教の宣教師として各地に赴くなかで佳句を残した。「雉子郎句集」にある次の句は代表作といわれている。
  兵役の無き民族や月の秋
 吉屋信子の「底の抜けた柄杓―憂愁の俳人たち」にも描かれている。
 浦和を拠点に活動した俳人・長谷川かな女は、夫・零余子の友人だった雉子郎の勧めで俳句を始めたという。
 なお吉川英治の俳号も雉子郎だとか。

閑居老人独語61

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05 /26 2020
 このところ恒例となった埼玉新聞囲碁欄掲載譜を検討するテレワークの第3弾は、昭和31年の関東甲信越静大会の菊池―森崎戦、同44年の埼玉名人戦の竹本―福岡戦の2局。福岡さん20歳の県大会初優勝譜だ。合わせて4時間。疲れたが、仕事をしたという実感を伴う充実した時間だった。
 緊急事態宣言の解除を受けて、6月1日からプロの公式戦対局を再開する旨が発表された。延期されていた十段戦の日程も決まった。第3局が6月17日、第4局が同26日、日本棋院で行われる。第5局は7月3日、関西棋院。
 一方、アマの大会では高知総文の囲碁・将棋が中止になったという情報も入ってきた。

 緊急事態宣言が解除されたとはいえ、自粛生活はまだまだ続く。学校はそろそろ再開に向かっている。それにしても深谷の中学校で、登校時には「アベノマスク着用」という通知プリントを生徒に配布したというニュースにはさすがにあきれた。
 柴田宵曲の「明治風物誌」には「碁」という項目があり、大久保甲東(利通)や犬養木堂の碁をめぐるエピソードが紹介されている。
 まず「大久保の碁は相当強かったらしい」と始まる。当時、素人初段となって得意だった千葉県令の柴原和がたまたま手合わせすることになったとき、甲東がのっけから「2、3目置け」という。柴原は「この道にかけてはいかに閣下の仰せでも譲り申すわけにはいかぬ」と争った末、柴原が黒を持って対局してみると2、3局続けて負けてしまった。甲東は有段者でも何でもなかったが、実力はだいぶ上だったらしい。それだけの腕前だから、碁が好きだったことは確か。あまり碁を打つと身体に障ると心配する者があり、松方正義が代表として忠告に行ったが、「私は碁が打てなければ死んでしまひます」という一言で退けられたと、牧野伸顕の「回顧録」にあるという。大久保が暗殺されたのは明治11年だからそれ以前のことになる。碁が打てなくなったのはさぞかし無念だったろう。
 犬養木堂はあるとき、大奮発して百五十円の碁盤を買った。この話を聞いてある意地の悪い男が、一つその碁盤に疵をつけて弱らしてやろうというので早速出かけて行って一局所望した。すると木堂が書生に運ばせたのは極めて粗末な碁盤だった。そこで百五十円ので願おうじゃないかというと「折角じゃが、あれは初段以上の人でなけりゃ出さない」と澄ましたものであった、という。
 我が家には骨董市で求めた「木翁意匠碁器」と箱書きのある塗りの碁笥(本因坊型に近い)があり、日向蛤が収まっている。木堂と関係あるのか。懇意にしている碁盤屋さんにも聞いてみたが、その辺のところはわからなかった。骨董屋通いで日向の蛤をだいぶ見たせいか、今では日向産とメキシコ産蛤は容易に見分けがつく。
 以前、骨董市で日向の柾盤と35号の日向蛤をセットで12万ほどで買った。その盤を鑑定してもらうと「バブル期ならば優に400万はしましたね」といわれた。蛤碁石は規定の180個に25個ほど足りなかった。その分を碁盤屋さんを通して補充したら1個5000円。補充分のほうが盤石セットよりも高かったという笑えない話もある。その後、湯布院あたりを旅してとある骨董屋に入ると、端物碁石と称して正規品から弾かれたものを売っていた。店主と交渉して10個を1万円で買った。見た目も美しく、素人目にはなぜはじかれたのか分からない。
 宵曲の随筆「団扇の画」(岩波文庫)にも「碁」という項がある。「碁盤といふものは子供の時から家にあったが、遂に碁を打つことを習わなかったので、黒白を弁ぜざること今も変りがない。碁を知らぬ人間が碁の話をするなども、夏の日永の一興であろう」としたうえで、「古今著聞集」や家康、本因坊秀哉などのエピソードを紹介している。たとえ碁は知らなくても、いかに幅広く文献を読み漁っていたかの証左だろう。同じ本の「別天地」という項には、碁の別名「爛柯」の由来も取り上げている。
 同じ宵曲の「子規居士の周囲」(岩波文庫)には戯道という人の次の句が出てくる。
  琴棋書画中に水仙梅の花
 琴棋書画は古来、君子のたしなみとされたもの。「棋」が碁であることは言うまでもない。
 また元禄期の有名ならざる俳人を広く紹介した「古句を観る」(岩波文庫)には喜重という人の碁を読んだ句があった。
  短夜の碁を打分の名残かな
 これなど、打ち分けで決着がつかず、夜通し打ったのだろうか。先の甲東にもこんなことがあったのかもしれない。

閑居老人独語60

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05 /25 2020
 今週の埼玉新聞囲碁欄は補遺編として、昨年秋から年末にかけて行われた二つの大会(女性3人そろって団体戦、くまがや囲碁まつり)を取り上げる。いずれも、採譜はしたものの諸般の事情で掲載できなかったものである。掲載を期待していたかもしれない対局者の皆さま、今になってしまってごめんなさい。
 ところで、本因坊戦七番勝負は来週開幕するというが、十段戦はどうなっているのだろう。4月16日に予定された第3局が延期されたままで、その後の発表はまだない。
 アマ大会で気になるのは高校選手権。8月の少年少女の全国大会はすべて中止になってしまったが、こちらがどうなるのかの発表はまだない。愛知県では県大会の中止をすでに決定しているようだが。埼玉の県予選は6月20~21日の予定。
 もう一つ、気になっているのは10月末開催予定のねんりんピック岐阜大会。1万人以上が集まる大規模イベントが実施できるのか。希望をもって見守っていきたいが、まだ県の代表選抜戦ができてない状態だ。

 柴田宵曲の「明治の話題」「明治風物詩」は面白い。明治の話題、風物をさまざまな項目別に随筆風にしたためたものである。著者自身のはしがきには「おぼつかない脳裏の記憶に、乏しい架上の書物の記載を加味した混成酒の如きもの」とある。どの項目にも驚くほど引用が満載である。それ一つを取ってみても、著者の読書量、記憶力が半端ではないことが知れる。「子規全集」に尽力した人だけに子規句の引用も多い。漱石・鷗外・紅葉・鏡花・一葉・露伴・白秋・寅彦なども頻繁に引用される。沼波瓊音・小山内薫・斎藤緑雨等、現在では馴染みの薄くなった人の作品も多く登場する。
 面白そうな話題をいくつか取り上げたい。まずは「角力の名前」の項から。芥川龍之介が往時を回想した「荒岩とか、国見山とか、逆鉾とか、錦絵の角力に近い、男ぶりのすぐれた角力は悉く贔屓だった」から書き起こし、明治の力士の四股名は皆雅馴であったが、そのなかに「唐辛」(とうがらし)という力士がいたという。ホントかいな? と思ってしまうが、番付の幕尻付近に名を連ねていたようだ。そこで「角力取多く画きたるなかに」と前置きのある子規の句が紹介されていた。
  いろいろの秋や小錦唐辛
 詠まれたのは明治29年。唐辛子は秋の季語でもある。小錦はこの年1月横綱に昇進した。下の名前は八十吉。我々が知っているあの小錦と同じなのである。ということは、当然この横綱にあやかったのだろう。
 なお、「すもう」を相撲、角力と書くのは当て字。角界が角力からきているのはいうまでもない。相撲の歴史は「日本書紀」の當麻蹴速と野見宿禰にまでさかのぼることができる。もともとは「すまふ」(争う)意から。
 「官製烟草」という項も面白い。明治37年8月に政府は民営の烟草を禁じ、専売とした。時節柄、日露戦争と関係がありそうだ。福本日南は官烟を評して「一喫催吐」といい、揶揄する歌まで作ったという。
  値も高きおほやけ烟草くゆらせば烟(けむり)の末に曾禰のかほ見ゆ
 曽根は当時の大蔵大臣。烟草専売はこの人の創意に基づいたらしい。官製の口付烟草の命名は専売局第三製造所長の中島某が、隣室で女の子の読み上げる「敷島の大和心を人問はば」という読本の一節から思いついたのだという。値段も「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の順だった。泉下の宣長も苦笑したにちがいない。
 余談だが、新幹線の車体の「新幹線ブルー」は色を決める会議のときに誰かの手元にあった煙草「ハイライト」(昭和35年発売開始)の箱の色から思いついたという。これはご記憶の方もあろうが、チコちゃんが教えてくれた。命名なんてけっこういい加減な思いつきも多いんだなあ。

閑居老人独語59

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05 /24 2020
 今日は日曜日。本来なら朝日名人戦の決勝が行わている日。中止になった現在、当然在宅。
 NHKの将棋対局は「NHK杯戦アーカイブス」企画として、32年前の大山十五世名人―羽生五段戦を放送していた。羽生さん18歳。若い。見始めたら目が離せなくなった。門外漢の自分でも記憶しているこの期は、現羽生九段の初優勝の年。しかも破った相手が半端ではない。3回戦から決勝まで順に大山、加藤、谷川、中原の名人経験者をことごとく打ち負かしたのだ。
 一方、NHKの囲碁はアンコール放送として、前期の再放送。これはあまり芸がない。今朝の「週刊碁」には「NHKアーカイブ」として1964年の坂田―秀行の決勝戦を取り上げていた。こちらを放送で流してくれればいいのになあ。
 また幽玄の間では「幽玄の間クラシックス」として、元丈―知得、秀和―幻庵因碩戦など、囲碁史に名高い名局が取り上げられている。27日には明治の秀栄―田村保寿戦が解説されるようだ。

 久しぶりに晴れた。朝いちばんに新聞の俳壇・歌壇を見る。「コロナ禍」という言葉がすぐ目につく。
  コロナ禍で何かを忘れ春が行く
 選者・長谷川櫂の評が傑作。自ずから五・七・五になっている。
  ワスルルナ モリカケサクラ クロキカワ
  コロナ禍の散歩黄色に癒やされる菜花、蒲公英、連翹、山吹
 この歌、実感。いまは麦畑の黄金色もこれに加わるか。しばらく前にはモッコウバラをよく見た。名も知らぬ野の花も目につく。
 もう一首、こんなのもあった。
  ひょっとして今年の漢字になるのでは筆順もややこしい「粛」の字。
 こちとらは散歩以外は粛々と家にこもっている。営業をやめない店などを攻撃する「自粛警察」はいただけない。
 「一茶俳句と遊ぶ」(半藤一利)を読む。昨日は、時事川柳が本歌としていた一茶句をやっとの思いで探した。一方、一茶にもあきれるほど本歌取りが多い。
  なの花も猫の通ひぢ吹きとぢよ
  我里はひとりかも寝む天の川
  夕なぎに焼くやもしほの雲の峰
  思ひ入る山の奥にも師走哉
 百人一首を踏まえているのはわかりやすい。まだまだ古歌を踏まえた句がある。すぐに本歌がわかるもののみ挙げる。
  年の内に春は来にけり猫の恋―古今集冒頭
  ほのぼのと明石が浦の海鼠かな―三十六歌仙・人麻呂
  遠乗や霰たばしるかさの上―実朝
  春風や黄金花咲くむつの山―家持
  君が代や旅にしあれど笥の雑煮―有間皇子
  蟾(ひき)どのの妻や待つらん子なくらん―憶良
  人問はば露と答へよ合点か―伊勢物語
 最後に、へえー一茶がねぇと思う一句を。
  思ふ人の側へ割込む巨燵かな
 「巨燵」は一茶風あて字。普通は炬燵または火燵。このあて字は漱石句にもあった。
  病む人の巨燵離れて雪見かな

閑居老人独語58

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05 /23 2020
 3月以降、県連の大会予定は目下のところすべて中止になりました。例年7月中旬に行なっている県連総会は可能ならばやりたいと考えています。コロナの終息を願いつつ準備は始めていきたい。手始めに次の通り会場は確保しました。
 7月21日(火) 与野コミュニティセンターです。正式に決定しましたら各支部、各理事さんには改めて連絡いたします。コロナの状況によっては変更もありえます。
 延期されていた本因坊戦七番勝負、甲府市で6月2日に開幕するようです。この日は本来なら第3局が予定されていた。2局目から5局目までは当初予定していた4~7局目の会場を充てる。第6局、7局は日本棋院で開催される。日本棋院での開催となれば1975年以来とのこと。

 日々の散歩のコースは、単調を避けるためにできるならば変えたいと思っている。昨日は庭に咲いた花を折り取りて墓参りする。広々と連なる周辺の麦畑は一面黄金色に輝き、まさに麦秋を思わせる。気持ちのいい眺めだ。
 今日は片道30分ほど歩いて、久しぶりに町の小さな本屋に行く。昔から頑張っている本屋だ。並んでいる本に店主のポリシーが感じられる。「幕末下級武士の絵日記」の新訂版、新刊の「人類と病」のほか、内田百閒と関川夏央の本を買う。店主曰く「私、百閒が好きで置いておくんですが、買ってくれる人がいてよかった」と。また積読タワーを高くするかもしれないが、手に取ると買いたくなるのはほとんど病気の類だ。帰り道、これも古くからやっている和菓子屋に立ち寄る。こんな時期でお茶の稽古や茶会はどこも中止になっているが、ほそぼそと作っているという上生菓子を買って帰る。閑居のつれづれに家でお茶でも立ててみよう。
 例によって今朝の川柳欄を開く。
  辞め支度致せ致せと桜かな
 「一茶の本歌取り」との選者評がついていた。といわれても本歌(句)に心当たりがない。朝から気になった。本歌取りされるくらいだからきっとよく知られた句なのだろうと、軽い気持ちで本歌探しにかかる。まず半藤さんの「一茶俳句と遊ぶ」をめくってみる。どこにもそれらしき句が見当たらない。次に岩波古典体系の「蕪村集 一茶集」を調べる。ここにもない。探索を諦めて散歩に出たわけだ。
 ネットで検索すると、長野郷土史研究会の人が作成した「一茶発句全集」があった。一茶句は約2万句あるという。それを全部調べるのはほとんど絶望的かと思ったが、試しに「桜」句を丹念に探してみた。それだけでもずいぶんある。半分諦めながら、ただ句が並列されている見にくいページの中ほどに目が留まる。思わず「あった、あった! これだ」と叫んでしまった。
  死に支度致せ致せと桜かな
 「七番日記」にある文化7年の句だという。この桜はもちろん散るのを急ぐ桜花だ。ついでにこんな句も見つかった。
  来年はなきもののやうに桜かな
 先の柳句はただの桜ではない。この句と並んで次の句があるのを見ても明らかだろう。
  コロナ落ちつきサクラ復活
 選者評に曰く「弁護士らが告発」と。
 何日か前、検察庁法改定案に反対し衆議院議員会館前に集まった人が手にしているプラカードの文字を写真で見た。これがまた面白い。「モリ・カケは握りつぶしたが、桜でドジリました。黒川さん助けて~!」
 その黒川さんは賭けマージャンで辞職。余人をもって代えがたい人でもなかったようだ。
  給付よりスピード感のある辞職


 

閑居老人独語57

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05 /22 2020
 何日か前から中国ではプロの対面対局が再開されたようだ。ただし当面は1日1局だけとのこと。
 緊急事態宣言が解除された大阪ではこども囲碁教室が再開した、と日本棋院若手棋士がツイートしていた。「ネットもいいが、実際に会って検討するのが一番!」
 首都圏はいまだ緊急事態宣言が継続されたままだ。埼玉新聞掲載用のプレーバック企画の棋譜も対面での検討はできず、テレワークになっている。来週検討を予定している昭和31年の関東甲信越静大会、神奈川との決勝の主将戦、菊池―森崎戦を、当時の観戦記を読んで予習している。60年以上前の碁だが、超一流の碁だけに感心すること多々。

 今日の川柳はさすがに「賭けマージャン」というキーワードが3句連なって詠み込まれている。そのうちの一つを。
  賭けマージャンまさかという坂転げ落ち
 「まさかという坂」は小泉総理が使って有名になった三つの坂の一つ。「下り坂」を転げ落ちた黒川氏の人生はこの時まで「上り坂」しかなかっただろうに。その上り坂の上がりが検事総長だったかもしれないんだよね。
 ところでマージャンだが、地位も金もある大の大人が数千円から2万円の勝ち負けなんて考えにくい。自分が初任の頃、月に3度ほど麻雀を囲めば給料の3分の1ぐらいの稼ぎがあった。ホント! 囲碁部の麻雀と職場の麻雀とはちょっとばかりレベルが違ったということかな。当然ながら遊びであり、賭博などという意識は毛頭ない。今はまったくやらないが。
 この時期だけに、「訓告」で済むの? との感情に流されがちだ。道義的には確かに問題だが、外出したとて本来罰せられる性質のものでもない。あまりそちらに傾斜すると本当の問題点が看過されかねない。
 「賭けマージャン」「辞職」の引金はまたも、よく当たる「文春砲」だった。
  文春砲ならんで買いたい宝くじ
 昨日の埼玉新聞に「積ん読崩し」という言葉を見つけた。―「ステイホーム」が呼び掛けられる日々、家で読めないままの「積ん読」本に手を伸ばしてみては? ということで7人の読み巧者がこんな本をと薦めていた。
 自粛生活をつづけている期間、わが生活はまさにこの「積ん読崩し」だ。ツンドクとはよく聞き、よく使っているが、まさか辞書に載っているとは思わなかった。手元にある新明解と岩波の国語辞典にあたってみた。ちゃんと載っているではないか。「書物を買って積んでおくばかりで読まないこと。多読・精読などのもじり」とある。ただ岩波の辞書は頭に[俗]を冠している。
 こうなると由来や起源を知りたくなる。「日本国語大辞典」を繰ってみると、明治12(1879)年の「東京新誌」に「つんどく家」「つんどく先生」という語が見られると、森銑三が「閑読雑抄」で紹介しているとの記述があった。
 また、明治34(1901)年の雑誌「學燈」に田尻北雷(東京市長も務めた田尻稲次郎の雅号)が「書籍つんどく者を奨説す。音読・黙読以外に、書籍につんどくあり」と書いているとか。
 ネットも検索してみた。「積読タワー」という言葉もあった。積読本が高く高く、いつしかタワーになりかねないのだ。そうなると以前に読んだ「本が崩れる」(文春新書)の草森紳一の世界だ。
 積読派の自分は、某教授の次のような書き込みに意を強くした。
 積読は一般的には忌避される風潮があり、「積読をなくすための断捨離術」のような言葉も目につく今日この頃だが、実は悪いことばかりではない。まずメリットの一つとしてこう書かれている。「読みきれるか心配して本を買うのをためらうとき、君は大きな損失をしている。買わない時点で読む選択肢は消えるのだし、その本に二度と出会えなくなるかもしれない。だからとりあえず買っておく。手元にあればいつでも読めるし、本は腐ったりしないのだから」
 積読本の中から「明治日本散策」(エミール・ギメ)「明治風物詩」「明治の話題」(ともに柴田宵曲)をつづけて読む。

オオボケnaoちゃん

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