日本棋院埼玉県支部連合会
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閑居老人独語1369
今度の日曜日の市町村交流大会に向けての第3回実行委員会が指扇囲碁サロンで開催された。まずはやっとのことでそろった参加16チームの確認。議題は大会直前の細部の詰め。会場図と会場設営、棋具の手配、大会時程と大会ルールの再確認、開閉会式次第と役割、当日の細部の役割分担や最終予算案の確認、賞品について等々。基本的には、経費切りつめのため、プログラムの印刷等も自前でやるようになっている。 なお、昨年から昼
なお、昨年から昼食は各自、館内での食事は一切不可ということの徹底を図ると同時に周辺の飲食店の案内等についても詰める。細かいことをいえば、審判長としておいでいただく安斎八段への対応(特に食事)について等についても話し合う。実行委員がそれぞれの役割を果たしてくれているのもうれしいことだ。
実行委員会終了後は正副委員長、事務局長を中心に関東甲信越静大会への取り組み、朝日名人戦への対応等を確認する。貴堂前会長=関東甲信越静連盟会長も元気な姿を見せた。
2026年度のねんりんピック埼玉大会の囲碁の開催地が幸手市に正式決定したとの連絡がきた。
10時からの囲碁会議のため、8時半前に車で指扇に向かう。案外スムーズに走った。川越線で来た人たちは強風のために電車が遅れたという。会議は滞りなく予定時間内に終わった。
帰り道、上尾の丸山公園を歩く。河津桜の並木が遠くからもまず目につく。近づくと緑の葉が出始めている。一本一本にオーナーの名が記してある。大池は水が干上がっている。その真ん中を一筋の水が流れている。エドヒガンはまだ蕾も見えないが、こちらにもオーナーの名が記されている。その並木の外側には小川が流れ、斜面を菜の花の黄が埋めている。小橋を渡り、バーベキュー場にまわる。遠目にもはっきり見える桜のような白い花が咲いている。近づくとダンチオウトウという名札がついていた。花は梅のようでもあり、幹は桜のようだ。ネットで調べると暖地桜桃とあった。漢字で書いてもらったほうがよくわかるのになあ。咲き始めは薄ピンクで、満開時は白くなるらしい。
再び大池に戻る。芽吹き始めた柳の枝が強風に大きく靡いている。薄緑の柳の芽はまさに啄木が詠った「やはらかに柳あをめる」景だ。その上空に半月が白くかかっている。メタセコイアの枝が強風にうなっている。
水生植物池の八橋のような木橋を渡り、そこから森へつづく階段を上る。「強風時には枯枝等の落下がありますので十分ご注意ください」と看板が出ている。確かにやや大きめな小枝が転がっている。どこからかシジュウカラのツピー、ツピーという声が聞こえてくる。
上った先に小動物園がある。平日の午後で風の強いこんな日には子どももいない。珍しい動物をゆっくり眺めた。ワオキツネザル(輪尾狐猿)は縞模様の尾がやたら長い。マダガスカル島南部に生息しているのだとか。東南アジアをふるさととするコツメカワウソ(小爪獺)は水辺を元気よく動き回り、こちらを向いてキイ、ミイという鳴き声を発してくる。
その先に進むと二段に流れ落ちる人工の滝があり、その背後に、地元の俳人松本旭の句碑がある。
野を突っ切る一河の青さ今朝の春
大池の突端だけ水が溜まっている。逆光に輝く水面を風が波打ちながら渡っていく。目はかゆくなったが、いい散歩だった。
コーヒー店に立ち寄り、図書館で借りた『日本語の大疑問2』(国立国語研究所編)を読む。その中に「新しい言葉ってどうやってできるのですか」という項があり、そこに「置いてけ堀」の話がある。この語は江戸時代からある「セリフ調の言葉を取り入れた当時の新語」だったという。それは江戸本所七不思議の伝承に由来する。この池で魚を釣ると、水中から「置いてけ、置いてけ」と呼ぶ声が魚を返すまで聞こえたという。ここから「置いてけぼり」(おいてきぼり=置き去り)という言葉が生まれたらしい。
こんな話題は『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘)にもありそうなものだが、それはない。この本は20年以上も前に書かれたものだから情報としては古い。それを「新装版」と銘打って新たに刊行する意味があるのかとも思うが、徘徊のネタ本がいろいろ出てくる。それは貴重な古い記録だ。それある限り、この徘徊記は不滅かもしれない。そのネタ本は雑誌編集時の担当者が苦労して収集したらしい。作者自身は「あとがき」に次のように記している。
―東京徘徊にもいろいろある。最新情報満載の東京案内もそれはそれでおもしろかろうが、アスファルトを一枚めくると隠れていた地層が次々に姿を現して、なんでもない町が過去に幾重にも重層したふしぎな土地にみえてくることがある。探せばまだ、ポストモダン臭一色になった東京にも江戸や明治の名残が汚れた残雪のように顔をのぞかせているのである。
「新装版」の面目を保つために(?)本書の最後には森まゆみさんの「二十年後の徘徊」という一文が添えられている。
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2024-03-18T21:20:51+09:00
オオボケnaoちゃん
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閑居老人独語1368
女流アマ選手権で内田祐里さんが優勝した。自身にとっては3年ぶり2度目。埼玉勢としては去年の大沢摩耶さんに次いでの優勝だ。午前中の準々決勝で勝利したのを確認し、家を出る。棋院まで約2時間。到着した時は決勝の中盤だった。まず準決勝の結果を確認する。3年前に決勝を戦った村瀬なつさんに勝利していた。決勝の相手は藤原彰子さん。誰かが「平安時代の高貴な女性を思わせる名前」と言っていた。紫式部が宮仕えしたのが
今日はジュニア本因坊戦全国大会も毎日新聞本社で開かれ、県代表の深田裕仁君は優勝が期待されたが、7位に終わった。
午前中は藤井八冠が登場するNHK杯の決勝を観た。序盤は両者研究済みなのか、猛スピードで進む。終盤、評価値が大きく揺れ動き、藤井の97%から一手を境に180度逆に触れた。結果は敗戦。ただ、この日は棋王戦に勝利し、防衛を決めた。
全日本女流アマ囲碁選手権で優勝した内田さんの記事原稿を書いて写真とともに埼玉新聞社に送信した。今日は月に1度の休刊日(新聞社側の言い方)だから、おそらく社員は誰も出社していないだろう。本来なら明日の昼前に送信して届いているかどうか確認するのだが、明日はまた朝から会議があるので先ほど送信した次第である。すでに夜の10時を回ってしまった。明日は忘れずに確認の電話をしよう。
午前中は明日の会議資料を作成する。そのあと藤井八冠が登場するNHK将棋トーナメントの決勝を観る。終盤、勝ちが見えず投了寸前の悲壮感漂う藤井八冠の表情が印象的だった。事前収録のNHK杯戦では敗れたが、奇しくもその放映日に棋王戦第4局に勝利し、タイトル防衛を決めた。これで今年度の全対局を終え、勝率8割5分1厘は歴代2位の記録だとか。これがほとんどタイトル戦なのだからオドロキ以外の何物でもない。
NHK杯を観終えたころ、女流アマ選手権で埼玉の代表がベスト4に進出したという情報が入った。それでは取材に行かねばなるまいということで、市ヶ谷の日本棋院まで出かけることにした。行田駅に着いたらちょうど電車が出た後。普通なら10分も待てば次の電車が来るのだが、運悪く次の電車まで20分もある。その間に快速電車が通過する。待ち時間に荒川土手まで歩く。斜面に菜の花の群生が見えたからだ。近づくと菜の花独特の匂いが漂ってくる。晴れた暖かい日には、より香りが強いのだとか。棋院に到着したときは決勝戦の中盤に入りかけたところ。固唾をのんで見守った。結果は埼玉選手の優勝。行ってよかった。晴れ晴れとした表情を撮影できた。
往復の車中で『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘)を読み終えた。昼の電車だったので車内はすいていた。今朝の「朝日歌壇」にこんな歌があったのが実感される。
車内にはスマホをいじる人ばかり世界とつながり隣と切れる
夕食後は近くのベルクに行って会議資料をコピーする。夜になっても暖かい。戻ってくると、わが庭の沈丁花が匂う。昼間よりも闇夜のほうが、より匂いを感じるのか。ふっと次の歌が思い浮かぶ。
春の夜の闇はあやなし 梅の花色こそ見えね香やはかくるる ―凡河内躬恒
「春の夜の闇」を擬人化し、闇はあらゆるものを隠すものなのに、梅の香は隠れないじゃないかと笑うことによって梅の香の高さを詠んだのだ。
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2024-03-17T21:05:35+09:00
オオボケnaoちゃん
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閑居老人独語1367
久しぶりの土曜日のテレワーク。先週の埼玉シニア大会選手権決勝の松井比佐夫さんと関仁さんの碁を解説してもらった。序盤で黒番の松井さんが大きくリードした。関さんも苦しいながら粘り強く反撃機をうかがい、一時は紛れてきた。ところが、形勢不明に持ち込むチャンスを逃し、再び黒がリードするところとなり、松井さんがそのまま押し切った。 テレワークの休憩時間に女流アマ選手権の速報が入ってきた。野中優希さんのお母さ
テレワークの休憩時間に女流アマ選手権の速報が入ってきた。野中優希さんのお母さんに埼玉勢の結果を報告いただくようお願いしておいたのだ。1回戦で長野さんが敗れ、2回戦で野中さんが敗れた。2連勝して枠抜けをかけた3回戦に臨んだ3人のうち、大沢さんは時間切で敗れ、斉木さんも敗れた。内田祐里さんのみが3連勝で枠抜けを決めた。本戦1回戦でも勝利し、明日の準々決勝に進んだ。明日は準々決勝から決勝までが打たれる。準決勝からは「幽玄の間」で中継があるはずだ。内田さんの奮闘を期待しよう。なお、一次リーグで残念ながら敗退した埼玉勢はいずれも2勝1敗だった。
「週刊碁」がなくなって棋戦情報があまり入らなくなったが、名人戦リーグでは余八段と一力棋聖が4連勝と星を伸ばした。昨年の挑戦者・井山王座は一力・余に連敗してしまった。
早朝6時から、月に1度の座禅会に参加する。真冬の間は家を出るときはまだ真っ暗だったが、いまはもう明るくなっている。今日の参加者は5人。座っている間、鳥の声も聞こえてこなかった。円い座布に座り、お腹の前で両手を合わせて円をつくる。法界定印というんだそうだ。いつの間にか、合わさっている左右の親指がくっついているのか離れているのか分からない感覚になる。
40分ほど座った後はみんなで般若心経を読む。これもお決まりのコースだ。つづいて本堂の作務。裸足でも耐えられるような季節になってきた。別室に移り、五観の偈を唱えてから粥食をいただく。食後の閑談では東日本大震災の話題が中心。3ヵ月前から新たに加わった地元の公民館の館長は碁好きで、明日はプロのペア碁選手権を観覧に行くという。その入場券を見せてくれたのがきっかけで、しばらくの間珍しく囲碁の話題に。
帰途、車は妻に託し、あえて歩いて帰る。風はあるのだが、もはや肌を刺すような風ではない。テレワークが控えているので自宅まで直行した。それがなければ武蔵水路をもう少しさかのぼるところなのだが。
テレワークは8時半から約3時間。それを終えて庭に出てみると沈丁花の花盛り。芳香も漂ってくる。春らしく、気温が上がってきているようだ。
午後、歩き足りない部分は水城公園で補う。上着が要らないくらい暖かい。豊後梅はまだいくらか花びらは残っているが、だいぶ散りかけている。カンヒザクラも1本ある。釣り鐘の半開きの濃いピンクの花だ。ピンクというよりも紫紅色とでもいうべきか。オナガガモがいる池の畔の小岩の上で大きな亀が何匹も甲羅干ししている。池畔の柳が芽吹き始めた。確実に春の気配が感じられる。
コーヒー店で眼を洗い、プリントした囲碁原稿と棋譜をすり合わせて最終チェックを済ませ、『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘)の続きを読む。「上野山・寺と公園」の項はさほど「奇想」でもない。江戸の上野は、江戸学者の三田村鳶魚によれば、もっぱら「寛永寺の上野」だった。寛永2(1625)年に創建されたから寛永寺。天海僧正が東の比叡山の意味で東叡山と名づけた。
昨年5月、コロナ後の復活第1回「江戸・東京散歩」に選んだのは、足慣らしの意味もあって「上野」だった。「ふだんは足を止めない上野の文化財めぐり」と題して上野公園を歩いた。そのときに上野公園の歴史等については一応調べたことがある。公園の生みの親であるボードインの胸像も見た。
さて「徘徊記」に戻ろう。寛永寺は宝永期にいたって36坊がすべてそろい、山下には門前町が繁盛した。まさに「寛永寺の上野」だ。縁日には市が立ち、『江戸名所図会』などにも描かれた「上野山下の見世物小屋」がかかった。明治の作家斎藤緑雨は、「天然の色は上野に見るべく、人為の声は浅草に聞くべし」といった。上野の森は豊かな自然を背景に物見遊山の客を誘ったのだ。
「墨堤綺談」の項には「向島の花見は墨堤の桜見物にかぎらない。秋口なら向島百花園の萩を楽しむ趣向もあるだろう」として百花園を訪ねる。ここも「江戸・東京散歩」で出かけた。満開の萩のトンネルは印象深い。近くには長命寺もある。長命寺といえば桜餅が有名だが、ここには面白い石碑がある。蜀山人(大田南畝)や十返舎一九をはじめとする狂歌師5人が生前に辞世を詠んだ「五狂歌師辞世之句連碑がある。その中の蜀山人の辞世として次の歌が紹介されている。
どのやふななん題目をかけるともよむは妙法連歌狂歌師
蜀山人の辞世については以前、墓のある本念寺を訪ねた際に書いた(N0.1209)。よく知られているのは次の歌だろう。
今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん
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2024-03-16T19:59:56+09:00
オオボケnaoちゃん
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閑居老人独語1366
関東甲信越静囲碁連盟の理事会に中園会長とともに出席した。理事は基本的に各県1人。埼玉は貴堂前県連会長が理事であり、連盟の会長を務めている。今年の大会は開催予定だった新潟県が急きょ返上したたため「連盟(合同企画)」大会と決定していた。だから大会の骨格は当然ながら連盟理事会で決めていく。しかし、運営等の細部に至るまですべてを各県の理事が集まって協議することは実質的には不可能だろう。そこで理事が中心に
会議後、東京の金井さんから「首都圏カップ」の日程が8月18日(日)に決まったと連絡を受けた。会場は日本棋院。
今朝の朝日新聞県版に「朝日名人戦」の社告が掲載された。また本日「朝日名人戦」の賞状が届いた。
8時少し前に家を出て、会議のために市ヶ谷の日本棋院に向かう。今日は気温が上がるという予報がでていた。その通りに暖かい。もうマフラーは要らない。行田駅発8時19分の湘南新宿ラインに乗った。今月末の「江戸・東京散歩」はこの電車に乗ると案内を出しているので、混み具合をチェックする意味合いもあった。思ったよりすいていた。この分なら当日も皆さんが座っていけそうだ。会場に着いたのが開始5分前の9時55分。ちょうど2時間かかった。新潟、長野、静岡から新幹線で駆けつけた人はすでに着席していた。会議は原案がしっかりしていたせいもあり、議論が深まりながら能率よく進んだ。
昼食後は埼玉の関係者だけで、別の件に関する会議。終わったら3時になっていた。帰りには飯田橋の印刷博物館に寄ろうと思っていたのだが、それは諦めた。今日が、図書館で借りている本の返却予定日になっているので、自宅に戻って6時までに隣町の図書館に返しに行かねばならないからだ。
往復の車中で、最近新装版が出た『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘)を3分の1ほど読んだ。退職した11年前から仲間を募って「江戸・東京散歩」を始めて以来、わが書棚には江戸・東京関連本が増えた。それまではあまり関心のある分野ではなかったのだが。今は1つの書棚すべてを関連本が埋めつくしている。シリーズ本としては『江戸名所図会』(全8冊)、『江戸から東京へ』(全9冊)、『江戸東京物語』(全3冊)など。事典類としては『江戸東京学事典』『江戸史跡考証事典』もある。東洋文庫から出ている『武江年表』『東京年中行事』、最近購入した『東都歳時記』などがある。その他の単行本、新書本、文庫本は数知れず。種村さんの本では以前に『東京百話』を読んだことがある。その本の第1刷は1987年。30数年前の本だから活字が小さい。それと比べると今読み始めた本は活字が大きくなっており、ハズキルーペは不要だ。
『江戸東京《奇想》徘徊記』の単行本は2003年に刊行されたという。著者が「徘徊」したのは20数年前ということになる。その間にその土地はおそらく著者の徘徊時とは大きく変わっているにちがいない。「奇想」とわざわざタイトルにうたっているのは、一般的にはあまり馴染みのないところを多く含むからだ。たとえば「碑文谷の蓮華往生」「川崎・大師河原の『水鳥の祭』」「森ケ崎鉱泉探訪記」等。ちなみに「水鳥の祭」とは酒呑み合戦だという。水はサンズイ、鳥は干支の酉(とり)に通じるから、要するに「酒」のこと。
一方、わが「江戸・東京散歩」で訪ねたところもずいぶんある。「人形町路地漫歩」「上野山・寺と公園」「墨堤綺談」「深川南北漫歩」「永代橋と深川八幡」等々。確かに著者がつぶさに歩いた「徘徊記」ではあるのだが、加えて先人が書き表した記録を縦横に引用しているため、あんな本で、あの人がこんなことを書き残しているのかなどと知れるのもいい。
「目黒の近藤富士」の章も面白かった。広重の「名所江戸百景」に描かれている、あの「目黒新富士」のことだ。新富士は近藤重蔵が築造したものだから「近藤富士」ともいうのだとか。「江戸百」では手前の桜並木の向こうに築造の富士が大きく描かれ、遠くに雪を頂いた本物の富士が描かれている。人造富士の頂上には人が3人立っている。探検家として知られる近藤重蔵は好書家としても知られていた。学者としても「近世第一流」と森銑三が称しているくらいだ。
新富士築造の山開きの祝に、重蔵の知友であった大田南畝が次の狂歌を詠んでいる。
もののふのあらたに築く富士の根は 一番槍ヶ崎といふらん
新富士の築かれた地は槍ヶ崎別所坂上といった。南畝としては槍ヶ崎と一番槍とをひっかけ、おそらく探検家として千島・エトロフ島に一番槍の壮挙を果たした武士(もののふ)の功績をたたえての贈答歌のつもりだったか。]]>
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2024-03-15T21:46:16+09:00
オオボケnaoちゃん
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閑居老人独語1365
埼玉県市町村交流大会の申込数がようやく16チームになりました。3月4日の実行委員会の時点では10チームでしたが、その後いろいろな関係者の奮闘により、なんとか切りのいい16にこぎつけました。とりあえずひと安心です。追加チームは⑪三郷囲碁連盟⑫~⑭指扇囲碁サロン⑮緑星さいたまB⑯伊奈・大砂土です。三郷についてはメールで送信されていたものが見られなくなっていました。ご迷惑をおかけしました。メールアドレスが
参加チームの代表者には明日、「受付証」を発送します。そのほか18日(月)の第3回実行委員会に向けてそれぞれの役割に沿って準備を進めていただいています。たとえば賞品の選定とか、昼食会場のチェックとか。
明日は日本棋院で関東甲信越静大会に関する会議がある。「関東甲信越静連盟合同企画」という形での実施だが、連盟の事務局が埼玉にある関係で、実際の準備、運営等に埼玉が関わらざるを得ない面が生じる。そこで中園会長とともに出席する。
那須の温泉に2泊3日の静養に出かけた。宿は「源泉かけ流し」を条件に選んだ。湯は満足できた。
ゆっくりできたのはよかったのだが、帰ったら仕事がたまっていた。あわてて原稿の印刷をしようと思ったらプリンターが作動しない。クリーニングが必要とメッセージが出ているが、それが分からない。以前は確かにできた覚えがあるのに。結局、いつものYデンキのIさんにお世話になった。なんとかプリンターの問題は解決した。もう一つ、「送ったメール(埼玉県市町村交流大会の申込書)が届いているのか。何の返答もないが」と今朝お叱りの電話をいたただいたので、それについてもチェックしていただいた。わがアドレスが2つ設定されており、outlookの方は「パスワードを入れないと読めない形になっています。パスワード憶えていますか」とのこと。記憶がない。心当たりのパスワードを入れてみたが、その場では弾かれてしまった。変更もできるが有料だという。「家でもう一度確認してみてください」。帰宅して書類を見てそこにメモしてある符号を入れるとOKだった。なんと2月以降にもう一方のアドレスに送られてきたものはまったく目に触れてなかった。発信者が怒るのも無理はない。
埼玉県市町村交流大会参加チームの最終確認を済ませ、全16チームとも申込書が届いたので「受付証」はがきを印刷した。「3月中旬ごろ郵送します」と参加申し込み書に書かれている。急いでやらねばならない基本作業だ。そうこうしているうちに夜10時近くになってしまった。
那須では中日にちょっとだけ外出し、芭蕉の句碑を3基見た。一つは宿の近くの路傍にあった。馬に乗った芭蕉と、杖を突いて歩く曽良のレリーフの石像だ。その脇に『おくのほそ道』にある次の句が記されていた。
夏山に足駄を拝むかどでかな
芭蕉が那須を訪れたのは夏(旧暦4月)だが、いま背景に見えるのは雪を頂いた那須の山だ。
つづいて殺生石、温泉神社まで足を延ばした。殺生石の駐車場から木道を上っていく。硫黄の臭いが立ち込めてくる。木道の終点近くに次の句碑があった。誰かが下手に拓本でも取ったのか、文字の周りが黒ずんでいる。
石の香や夏草赤く露暑し
碑の表記は変体仮名のため、このようにはなってない。この句は確かに奥の細道の旅で詠まれたものだが、『おくのほそ道』には載ってない。「曽良旅日記」に記されている句だ。
温泉神社の参道左側の斜面にも次の句碑があった。これも「曽良旅日記」にだけ見える。
湯をむすぶ誓ひも同じ石清水
斜面には雪が寄せられており、碑には近づけない。説明板を読んでいると雪が舞ってきた。参道に「令和二年 那須温泉開湯一三九〇年」と記された幟がいくつも立っている。これから逆算すると那須温泉の開湯は舒明天皇の時代(630)ということになる。それは万葉集の時代の始まりでもある。
今日は白河まで足を延ばし、南湖公園の湖の周りを少し歩いた。風もなく暖かな日で、気持ちよかった。日本庭園内の翠楽園で抹茶でもいただこうかと思ったが、あいにく、めったにない休園日だった。業者が池の掃除をしていた。散策の途中、途中に「南湖一七景詩歌」が石に刻まれていた。藩主松平定信の歌もあった。
湖のここも鏡の山なれや こころ映さぬ人しなければ
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2024-03-14T22:33:42+09:00
オオボケnaoちゃん
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